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2009年7月 7日 (火)

理不尽な人と対峙する際の注意事項

先日、理不尽のお手本のような御仁に遭遇しました。
同様の件でお困りの方も多いと推察致しますので、
特徴と対応について、一筆認(したた)めておきます。

・理不尽氏は、勝てそうな相手を選んで喧嘩を売る。

 標的にされるということは、すなわち見下されているのです。
 まずは、このような人が、自分より優れていると思わない
 ことから始めましょう。

・理不尽氏は、論理的根拠に疎い。

 口を衝いて出る言葉は、勢いばかりで筋が通っていません。
 逐一対応せず、最後まで聞いてあげる余裕を身に付けましょう。

・理不尽氏は、案外臆病者である。

 “手の内”を出し尽くせば、途端に逃げ腰になります。
 断固中立の態度を示し、攻撃に効果が無いことを解らせましょう。

・理不尽氏は、自覚しない。

 自身はフツーにマトモだと思っており、自省とは無縁です。
 追い詰めると、“一番可哀想な被害者”に変身します。

理不尽氏に「真っ向勝負」を挑んでも、適正な結果は得られません。
況してや、理不尽を理不尽で返すような手段は、断じて推奨しません。

酸をアルカリで中和するようなイメージではなく、
大量の水で希釈,無害化してしまうように、
寛容な心境であれば、何も恐れることはありません。

2009年6月24日 (水)

NHK6月20日,21日放送『SAVE THE FUTURE』

《川の光》

子供向けのアニメと思って油断していたら、
幾度か、涙腺を緩まされる事態が起こりました。

人間が造り出したものは、動物にとっては何の価値も無く、
むしろ、意図せぬ迫害に成り得ることを理解しました。

《日本の、これから》

去年と同様、論議が一向にまとまらない印象を受けましたが、
人類がこの問題を放置してきた年月の長さを考慮すれば、
数時間程度の討議では、とても結論は出ないものと思われます。
それでもやはり、議論は続けるべきなのでしょう。

設問「仕事や暮らしを変えられますか?」

出席者たちの意見は、
「当然変えなければならない」
「変えたくても変えられない」
で二分拮抗し、悲愴感すら漂っていましたが・・・、

小生はかつて、変化も移動もできない者は滅びることを知りました。

先般アニメのネズミたちは、命懸けで移動を試みました。

経済の飽くなき発展と、人類の永劫安泰は、所詮“二律背反”であり、
資源を消費しながら「人間らしい最低限の生活保証」を求めても、
生半可な覚悟では、地球は許してくれないかも知れません。

僭越ながら、類似記事を書いていらっしゃる方に、
トラックバック送信させて頂きました。
《ヒトと社会と地球を大事にするコラム》様

2009年6月18日 (木)

「恋」と「愛」の違いについての未熟者の戯言

《ココログ様御提供》

恋の始まりは無様です。
ふとしたことから、特定の異性が気になり、
「顔が見たい」「声が聞きたい」等の欲求を抑え切れずに迷走します。

相手が応じてくれれば、「恋」として成り立ちますが、
“求める”が“求め合う”に変わることは、若干の危険を孕んでいます。

かつてNHKで放送された『女と男』では、「恋は盲目」現象と、
それには“賞味期限”があることを科学的に解説していました。

恋を謳歌している真っ最中は、悪因を一切度外視します。
「愛している」などと口走ることもありますが、
これは、昂った気持ちの裏にある不安を払拭すべく、
刺激の強い言葉を選んでいるだけです。

やがて“期限”が切れたとき、
多くの場合、夢から醒めたように別れたり、
取り返しのつかない状況に後悔したり、
不本意な結果を「こんなものだ」と自分に言い聞かせます。

それらの失敗を避けられたものだけが、「愛」へと昇華します。
そこに雑念や賎欲は無く、苦痛も感じません。
恋とは対照的で静かな、そして揺るがない感情が残ります。

常に相手の心情を察知し、自分に何ができるか考え、
行動や態度で示し、決して見返りを要求しません。

掛ける言葉は「愛している」ではなく、
「お疲れ様」等、思い遣りの趣旨が強くなるでしょう。

・・・とは言え小生、
恋愛に関しては、碌な経験をしておりませんので、
能書はこの辺りで止めておいて・・・、

「恋は素材であり、愛は作品である。」
と結論づけて、お茶を濁しておきましょう。

2009年6月10日 (水)

飼い犬に手を・・・

・・・噛まれたわけではありませんが、類似する事象を経験しました。

原因は「犬のおやつ」と呼ばれる商品です。
以前から不審に思っていましたが、
これを見せると、犬は異常に興奮します。

食欲を増進するために、何らかの匂いを付与してあるようですが、
開封した瞬間、人間にも判る程度ですから、
犬がそれを嗅げば、「食べたい」という歓喜を瞬時に通り越して、
「誰にも渡したくない」という狂喜に至るのかも知れません。

以来、ペットフードとして高度に加工された食品・・・
特に、安価な商品の成分に疑問を感じるようになりました。
メーカーも恐らく、犬の精神面への影響までは検証していないでしょう。

「法律上、動物は物品である。」という外論は扨措いて・・・、

「ペットは家族の一員」と謳うなら、
人間が犬の為に、適した食事を考案して、
都度調理してやることが、理想的な状態でしょう。

人間に置き換えて考えてみると・・・
出来合いの加工食品ばかりが食卓に並ぶ家庭は、
何らかの問題があると言わざるを得ません。

因みに小生、当該犬の飼い主ではありませんので、
能書はこの辺りで止めておいて・・・、
相応の覚悟が出来ないうちは、ペットは飼わないことにします。

2009年6月 5日 (金)

飲酒に関する未熟者の戯言

小生、お酒が飲めない体質ではありませんが、
自らそれを欲することはなく、
飲酒という行為自体を、あまり好ましく思っていません。

成人して間もない頃は、上司や同僚に絆され、
社会人たるもの、終業後に“親睦を深める”ことが
常識であるかのように刷り込まれていましたが、
或る日、そんな他人に惰随するような生き方とは決別しました。

「酒は百薬の長」という名言がありますが・・・、

アルコールが身体へ及ぼす影響のうち、健康面で期待できるのは、
血流の促進による、代謝の活性化だけでしょう。
それはすなわち、異物を排除しようとする、
身体の拒絶反応であるとも考えられます。

また、「適量」という言葉もよく使われますが、
これは、健康を増進する為に必要な飲酒量ではなく、
身体に負担を強いずに処理できる限界であると認識します。

つまりお酒は、「薬」と云うよりは「劇薬」であり、
用法を誤ると、自身はおろか、周りの人にまで危害を及ぼします。

小生の身辺において、日常的に飲酒の習慣がある人を観察していると、
例外なく体型が崩れてゆき、加齢とともに何らかの疾病を患います。
「適量」を堅守している人など、滅多にお目に掛かりません。

一方メディアに目を向けると、著名人が過度の飲酒によってその生命
・・・或いは、社会的生命を危うくする類の話題に事欠きません。

このような事態を目の当たりにすれば、
お酒とそれを愛する人を、敬遠せざるを得ません。

小生、お酒を用いる“儀礼の席”においては、相応に対応しますが、
この「劇薬」を安易に取り扱う人や、あまつさえ、
偏った価値観を他者に誇布するような人は、
誰であろうと、関係を絶つ覚悟で臨んで参ります。

2009年5月31日 (日)

鬱ぐ大国と傲る小国への提言

人類が心底戦争に懲りているのなら、
国家繁栄の為に武力を振りかざすような
“時代遅れの愚行”は避けるはずです。

今までと同じ結果を得るために、
今までと同じことを繰り返す者は、
自ずと滅びの一途を辿ることになるでしょう。

2009年5月14日 (木)

テレビ朝日5月10日放送『素敵な宇宙船地球号』

先の「人食いライオン」に類似した、人を襲うサメの話題でした。

某映画の影響なのか、我々人間の脳裏には、
サメは凶悪な生物であるかのように刷り込まれていますが、
サメが悪意を以って人間を狙っているわけではありません。
(少なくとも、現在のところは・・・)

そもそも海は魚類のテリトリーです。
生半可な覚悟で不用意に入って行けば、
その営食に巻き込まれてしまうでしょう。

小生、この度の放送で初めて知りましたが、
サメは4億年も前から、その形態があまり変化していません。

それはつまり、生き物としての完成度が高いことを意味し、
海における食物連鎖の頂点に相応しい存在であり、
番組に登場した写真家が「美しい」と絶賛することも納得できます。

しかし人間は、そんな“先輩”を忌み嫌い、
あまつさえ、高級食材を採取する為だけに殺したりします。
現地の漁師は「サメを過保護にすれば増えてしまう」と言いますが、
それは人間も同じことであり、
事実上、陸における食物連鎖の頂点になっていることが
恥ずかしくなってきます。

小生、金輪際フカヒレを食べる気にはなれません。
そして、サメが「人間は捕食容易な獲物である」と
認識してしまわないことを祈ります・・・。

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2009年5月 8日 (金)

NHK5月4日放送『立体生中継 地球LIVE』

炭素が空気中,地中,水中を、極めて長期のサイクルで
循環していることが理解できました・・・が、
殊更に数量表現を多用していることには、少々違和を感じました。

地球の何処に、どれほどの炭素があれば正常なのか、
人間が決めて良いことではありません。

地球が生誕してから、その環境は着実かつ壮大に変動しており、
現在、生物が生存していることは、奇跡的な偶然に過ぎません。

宇宙飛行士の若田光一殿がコメントで述べた、
「人間が地球を支配しているような錯覚・・・」
という件(くだり)が印象に残っています。

地球にある資源で道具を作り、宇宙に飛び立ち、
そこから地球を見ることができるということは、
「自分たちが何をしてきたか、見直してみろ。」という、
地球の“思し召し”なのかも知れません。

小生、番組を通じて・・・、
炭素の吸収という現象においては、森も海も既に飽和状態にあり、
これからは、放出の一方に転じてゆく・・・。
そのようにも感じました。
そうなれば、真っ先に人類が、深刻な打撃を被ることでしょう。

少しでも長く、この地球に居座り続けたいのなら、
“奇跡的な偶然”を認識し、感謝し、
自滅を早めるような愚行をせぬよう、心掛けたいものです。

2009年5月 3日 (日)

「友達は多いほうが良いのか?」という疑念

先日、テレビの某バラエティ番組にゲスト出演していた女優さんが、

「友達を大勢作ろうとは思わない」
「大勢で騒ぐことは好まない」

と発言していたのを聞き、甚く同感致しました。

「大勢の友達と楽しく過ごすこと」を是とするのは、
それより高尚な娯楽を知らない特定の人々の、偏った価値観でしょう。

小生は、快楽を共有したり、金品を授受するだけの間柄・・・
増してや、メールの返事を5分以内に要求するような人を、
「友達」と呼びたくはありません。

そもそも友達とは、意識して作るものではありませんし、
その人数の多さを競うものでもありません。

敢えて抽象的な表現を致しますと・・・
自分の生き様を貫いたとき、ふと気付くと、すぐ傍にいる人・・・
それが「本当の友達」でしょう。

2009年4月14日 (火)

「花見」に垣間見る環境の変化

小生、世間一般で云うところの「花見」に興味が無いことは、
過去の記事で述べましたが、
今年の「純粋な花見」では、特に良い写真が撮れましたので、
羞いもなく晒列しておきます。

Cherry_whiteeye02_3

メジロにこのような生態があることは広く知られていますが、

Cherry_sparrow_2

スズメの嘴は、このような作業には不向きな形状です。

これがすなわち、食糧が足りないことへの対処であるのなら、
人間にも、責任の一端があるのでしょう。

スズメは生き残る為に、移動や変化を試みています。
しかし人間は、相も変わらず桜の下で惰食を貪り、
環境破壊に一役買っています。

小生は一時の快楽よりも、このような写真を撮る機会に
恵まれることのほうが、ずっと楽しいと感じます。

今年は宴に興じていた人も、
来年は桜の樹を見上げ、何かを感じ取って頂きたいと思います。

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