「核の無い世界」についての随想
先般開催された“例の会合”で、歴史的な決議が採択されたようですが、
人間が人間である限り・・・欲望を制御できるよう進化しない限り、
核兵器の根絶は困難でしょう。
これは国家の意向ではなく、個人の問題です。
核保有国の中に、放棄を促す動向がある一方で、
現在非武装である国の中に、武装論者がいたりします。
先の記事でも述べましたが、武力を是とするのは、
意固地な臆病者の思想です。
小生は、手に余るような“道具”を持ちたいとは思いません。
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先般開催された“例の会合”で、歴史的な決議が採択されたようですが、
人間が人間である限り・・・欲望を制御できるよう進化しない限り、
核兵器の根絶は困難でしょう。
これは国家の意向ではなく、個人の問題です。
核保有国の中に、放棄を促す動向がある一方で、
現在非武装である国の中に、武装論者がいたりします。
先の記事でも述べましたが、武力を是とするのは、
意固地な臆病者の思想です。
小生は、手に余るような“道具”を持ちたいとは思いません。
外国の自動車メーカーが、ハイブリッド高級乗用車を発売しました。
性能諸元のうち、気になるものを以下に記します。
排気量 3.5リットル
重量 2070kg
燃費 11.2km/リットル
価格 1405万円
いわゆる「エコカー減税」の対象となったようですが、
元が燃費の悪い機体なので、数値目標の達成は難しくないでしょう。
環境に配慮した自動車を追及すれば、小さく,軽くなるはずですが、
世情の動向は逆に、大きく,重くなってゆく一方であり、
重くなった車体を、さらに大きなエンジンで引っ張るという、
悪しき傾向が感じられます。
そして残念ながら世界の経済は、大きく,重い自動車が
売れ続けなければ、どうにも立ち行かなくなっているようです。
この度提示された減税措置も、まだ使えるものを捨てて、
少しだけ便利なものに買い替えさせようとする扇情であり、
環境の保護よりも、経済の回復を優先している、
人間の“業”が露呈したものと言えましょう。
世界中の自動車をエコカーに替えようとしたら、
それを造るために、大量の金属とプラスチックを必要とします。
そして、加工のためにエネルギーを消費します。
よって、自動車の絶対数が減らない限り、何の意味もありません。
斯く言う小生も、自家用車を所有しています。
居住している地域が極めて辺鄙なので、依存せざるを得ません。
よって、乗る機会を極力減らす努力をしており、
現在の年間平均走行距離は1000km未満となり、
保険会社の人も驚くでしょう。
このまま大切に乗り続けて、30年後も健在であれば、
博物館に寄贈しても良いと思っています。
よくぞ、これほどの記録を残しておいてくれたものだと、感心しました。
しかし同時に、その他の公文書を処分してしまった卑劣ぶりに、
幻滅もしております。
戦争を始める理由が、実に“くだらない”ことであると理解しました。
極少数の意固地な人物が、既得権益に執着し、
有力者の威を借りながら、陳腐なプライドを振り回す・・・。
残念ながら、人類は戦争を訓戒とはしていないようで、
現代の社会にも、これに酷似する事例が散見されます。
特に「やましき沈黙」については、
官民を問わず、数多の組織に蔓延しており、
組織の規模に比例して、その傾向が強くなるようです。
大きな樹木ほど、果実が腐っていることに気付きにくい・・・
ということでしょうか・・・。
小生の身近にある、極めて大きな組織においては、
「出る杭」タイプに対し、それを打ちたがる者が100倍程居ます。
こうなると、個人には抗う術がありません。
このような組織に希望はありません。早々に見切りをつけて、
“腐らされる”前に離脱するほうが賢明でしょう。
それが必ずしも「敗北」を意味するとは限りません。
人類が心底戦争に懲りているのなら、
国家繁栄の為に武力を振りかざすような
“時代遅れの愚行”は避けるはずです。
今までと同じ結果を得るために、
今までと同じことを繰り返す者は、
自ずと滅びの一途を辿ることになるでしょう。
先日のTBSと同様、アメリカの自動車メーカーの
“大罪”を論旨としていました。
自動車の販売が不振になるにつれ、某メーカー企業は、
低所得者層を“獲物”として視野に入れるようになりました。
金融子会社を通じて、回収の見込みの低いローンを組ませ、
その債権のリスクを見え難くするために“細断”し、
他社の債権と混ぜ合わせ、証券として市場に放出したのです。
小生は「自動車が売れなくなった」という事実と向かい合い、
真摯に策を講じるべきだと思うのですが・・・、
100年近くも安泰が続いた企業では、
“ぬるま湯”に浸ったまま経営陣が世代交代し、
機転の利く、危機に対応できる者がいなくなってしまったのでしょう。
残された者達にできることといえば、
馴れ合いの固持と、慣例の人件費削減ぐらいでしょうか・・・。
電気自動車への転向によって、少しは生き長らえそうですが、
いつかは限界が訪れます。
まさか、世界中の全ての人に自動車を買わせることなど、
期待できないでしょう。
やはり「特殊化の果てにあるのは、緩やかな死。」なのです。
自動車の販売不振は、それに追従してきた企業にも、
少なからず影響を与えています。
彼等は、現有の事業を海外に展開するか、
全く違った事業に転向することによって、
生き残る道を模索しています。
これは、野生動物の生活環境が変化した際、
移動または進化することによく似ています。
恐らく他の業種でも・・・そして個人に対しても、
同じ選択が迫られているはずです。
どちらも拒み、その場に留まろうとする者は、
滅びるしかありません。
小生目下、進化しながら移動することを試みています。
日本の民放にしては珍しく、
アメリカの所謂「BIG3」の“大罪”に言及していました。
・自動車を普及させるため、鉄道会社を買収し、
街中から路面電車を排除した。
・排気ガスによる公害問題に対応する法案を“骨抜き”に
するべく、政治的圧力をかけた。
・オイルショック以降、需要が高まった外国の小型車の
輸入を制限すべく、政治的圧力をかけた。
・プリウスよりも先に開発した電気自動車を、
「採算が合わない」という理由で廃棄した。
今から考えれば、随分と強引で傲慢な手法です。
「驕る者は久しからず」という件(くだり)を思い出しました。
一方、現代の若者達・・・特に都心部在住者は、
自動車を単なる移動,運搬の手段として捉えており、
所有する悦びや、使用する愉しみは感じていないようです。
むしろ、それよりも優先順位が高いのは携帯電話であり、
月々の出費は、自動車のローンや維持費ではなく、
携帯電話の通話料に充てることに、価値を見出しているようです。
考えてみれば、買い物,友人との面会,気晴らし等、
自動車で外出していた用事は、携帯電話で済ませられなくもありません。
自動車メーカーも、よもや、
掌に載るような小さな機械に優位を奪われるとは、
夢にも思わなかったでしょう。
これまで、人類の文化変遷に従って、
様々な道具が発明され、そして廃れてゆきました。
恐らく自動車も例外ではないのでしょう。
その存在は不要にならずとも、形態の変移が求められるはずです。
常に移り変わる世情においては、同じことを繰り返しても、
いつも同じ結果が得られるとは限りません。
「特殊化の果てにあるのは、緩やかな死。」なのです。
《asahi.com様/バイオ燃料「環境への貢献大きくない」》
小生、国連の機関がこのような発表をしたことで、
ひとまず安堵しています。
人間が無為に放出する二酸化炭素を、植物に処理させるなど、
所詮、思い上がった幻想なのでしょう。
未開の土地を畑に仕立て上げるという工事は、
それだけで膨大なエネルギーを消費します。
森林を畑に置き換えてしまうと、
同じ植物でも、二酸化炭素の吸収量は激減するでしょう。
ある国は、砂漠の真ん中に小麦畑を造りましたが、
これは、地下に蓄えられた水を、凄まじい勢いで浪費しています。
そこが森林や砂漠であることには、必ず意義があります。
人間が立ち入ることが困難な場所は、すなわち、
「迂闊に手を出すな」という警告であると、小生は認識します。
地球環境の改善に、真に効果のあることとは、
きっと苦難を伴い、誰の利益にもならないことです。
14日放送《兵士はどう戦わされてきたか》
兵士が、戦うための“道具”に仕立て上げられる
過程がよく解りました。
映画の脚本なら「殺人マシーン」という呼称が格好良く響きますが、
現実はそんな単純ではなく、もっと悲惨なようです。
元の“人間”に戻る訓練など施してもらえるはずもなく、
PTSDと診断されて、終わりです。
自分が病気だと判っても、何の救いにもなりません。
戦争は、人の身体だけでなく、精神までも破壊します。
それが国家に不利益であることを、指導者たちは知るべきです。
15日放送《ママはイラクへ行った》
兵士の不足に苛まれた国家は、安定した生活を望む女性の心理を、
「高収入を保証」という言葉で、巧みに利用しているようです。
戦場から戻った母親たちは、
女性にとって大切な「慈愛の心」を失っていました。
いくらお金を積んでも、元に戻らないものがあることを、
指導者たちは知るべきです。
《総評》
戦争をしたい人と、戦場に駆り出される人の心情は明らかに違います。
しかし、戦争に負けたことの無い国は、
常に勝ち続けなければ、体裁を保てないのでしょう。
そしていつしか、無理にでも“敵”を作り出すようになります。
力による抑圧は、必ずそれを上回る力によって覆されることを、
指導者たちは知るべきです。
前置きに「史実を元にしたフィクション」とありますが、
それは、「現実よりもまだ易しい」という意味ですね。
完璧に再現すると、公共の電波では放送出来ないような、
凄惨な映像になってしまうでしょう。
先の3月10日にTBSで放送された、同名のドキュメンタリーでは、
その凄惨さを垣間見ることができます。
もはや使い古された表現ですが、
戦争は壊すばかりで、何も生み出しません。
たとえ国家に利益をもたらしても、
国内外の随所に“歪み”を蓄積させます。
「争いを一刻も早く終結させるため」などという大義を掲げて、
武力を行使する論理がありますが、それは虚栄です。
誰もが納得して収まるはずもなく、新たな紛争の要因を増やすだけです。
小生が好んで鑑賞する、シュルレアリスムの絵画は、
第一次世界大戦中の芸術運動「ダダイスム」を起源としています。
これは、大戦の背景にあった世情の合理主義を批判し、
敢えて無意味なものを、芸術作品で表現するという行為です。
つまり戦争とは、合理性を追及するあまり、
思考力の柔軟性を欠き、精神的な余裕を失った果ての
愚行と言えるでしょう。
人間は、慣れて,忘れて,怠ける生き物ですから、
放っておくと、その傾向は強まります。
よって、このような映像作品を通じて、
戦争の悲惨さを語り継がなければなりません。
そして観る側の個人も、
そのような希少な情報から何かを感じ,考え,
行動する感性を身に付けておくべきでしょう。
小生も、新車販売台数の減少に関心がありますが、
このまま自動車の絶対数が減ってゆくのなら、
それも大いに結構だと思っています。
一昔前は、自動車はひとつのステータスシンボルでした。
しかし現在では、誰でも持っている、ありふれた道具です。
いざ公道に出ると、事故や渋滞に巻き込まれる懸念があり、
楽しめる要素は殆どありません。
某自動車メーカーのテレビコマーシャルには、
「自動車は楽しいものだから、皆さんもっと買いましょう。」
という意図が込められているようですが、むしろ虚しく響きます。
小生は、以下の組織の間に“慣れ合い”が暗在し、
自動車が増え続けなければ、その存続が危うくなるような
状況に陥っていると邪推します。
司法機関:運転免許証の取得者数を増やせば、収入が増える。
製造企業:運転免許証の所有者が増えれば、自動車が売れる。
行政機関:自動車の台数が増えれば、税収も増える。
おしなべて、絶対数が増えたものは、“質”が低下します。
自動車黎明期からの勢いに任せて、
無計画にモラルの低い運転者を野に放った結果、
悲惨で不可解な交通事故が次々と起こり、
ニュース等を賑わすことになってしまうのでしょう。
危険を察知する能力がある人なら、
自動車から離れてゆくのは至極当然です。
各業界の皆様には、“ぬるま湯”はいずれ冷めてしまうことを
認知して頂きますよう、お願い申し上げます。
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