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知識・教育

2008年10月 8日 (水)

怪物の子供たち

過去の記事で懸念していたことが、現実となって顕れ始めたようです。

《J-CASTニュース様/「モンスターチルドレン」が出現》
《izaニュース様/“親”だけじゃない「モンスターチルドレン」の実態》
《「中年の主張」様/親の背中を見て子は育つ》

〈原因〉
ほぼ間違い無く、親に責任があります。
良くも悪くも、子供は親の特性を引き継ぐものです。

誤解を恐れずに申し上げますと・・・、
親の“限界”が低ければ、子供はそれを超えられません。

〈傾向〉
口を衝いて出てくる言葉など、大概“虚仮威し”です。
過敏に反応し、狼狽えるから、付け込まれるのです。

「教育委員会に訴えてやる」が得意技のようですが、
本当にそんなことができるのかどうか、落ち着いて考えてみましょう。

縦んば、裁判沙汰になったとしても、
被害者になりきるほどの器用さは、持ち合わせていないと推察します。

〈対策〉
まずは、攻撃に効果が無いことを教えて差し上げましょう。
誤解を恐れずに申し上げますと・・・、
相手が自分と対等などと思わないことです。
動物を為付けるぐらいの心構えが、丁度良いかと存じ上げます。

念のために、業務(または公務)を妨害した証拠や、
不快を感じた人の証言を集めておいても良いでしょう。
そんなものを使わないに越したことはありませんが、
足元を固めることによって、自信が身に付きます。

〈懸念〉
小生、親は子供に人生の“全て”を教えて、
いつかは自分を超えさせることが義務であると認識しています。
手を抜くと、それが子供の“限界”となり、
世代を経るごとに益々低下してゆくでしょう。

このような経緯で、社会に適合できない人間が増えてゆくこと・・・
ひいては、このような人々が社会を構成してゆくことが懸念されます。

2008年5月24日 (土)

子供の食事と風紀についての考察

《きくちゆみ様/『白砂糖は魔薬!?』をこどもと一緒に読もう》

小生が小学生の頃は、学校の教育方針として「買い食い」を禁止していました。
それが発覚しようものなら、学校はもとより、両親に厳しく叱られました。

そして現代、通勤で道端をふと見やると、コンビニで子供達が、
ファーストフードや駄菓子を貪り食う光景が散見されます。
「あんな偏った食事で・・・」と考え始めたとき、
「買い食い禁止」の意図が理解できました。

育ち盛りの子供達は、成人よりも多くのエネルギーを必要とします。
特にビタミンCとB群は、精神面の健全な育成に不可欠です。
欲望の赴くままに食べていると、当然、このバランスが崩れ、
身体ばかりが大きくなって、精神が追従しません。

それが証拠に、コンビニ前の彼等は非常に行儀が悪く、
包装紙等のゴミを捨て散らかしています。
自分達の行為の因果を推し量るほど、精神が発達していないのでしょう。
もはや、野生動物の食事態度にも劣る醜態です。

「買い食い禁止」とは、このように、
風紀と食生活が相互に関与しながら悪化することを
懸念して発令されたものなのでしょう。

子供に質の良い食事を与えることは、親の責任です。
それの良し悪しで、今後の人生が決まると言っても、過言ではないでしょう。
先述の子供達には、親が小遣いを渡し、
「これで適当に何か食っとけ」と言い放つ情景が想像されます。
これは既に、育児放棄に他なりません。

2008年4月18日 (金)

道徳心の低下に関する懸念

《asahi.com様/子どもの道徳心を偏差値化 各地の小中学校でテスト》

小生が小学生の頃、「道徳」という学科はありましたが、
試験はありませんでした。

学力はともかく、思想までも点数で評価することは好ましく思いません。
・・・が、実際に試験問題が存在し、それが実施されているのなら、
やはり道徳心の低下は、逼迫した懸案なのでしょう。

小生、道徳心の“基礎教育”は、親に責任があると断言します。
例えば「目上の人や有識者には敬意を払い、教えを請うべきである。」
という概念を与えなければ、子供は教師の言うことなど聞きません。
「学級崩壊」と呼ばれる事態の原因も、ここにあると推定します。

文部科学省は「愛国心」を重点的に指導したいようですが、
現在の日本は、とても愛せるような状況ではありません。

経済は低迷し、行政はそれを解決できず、
立法は暴走し、司法は頼りにならない・・・。

あまり考えたくはありませんが・・・、
「愛国心」を必要としている機関,組織の人々の道徳心も、
かなり低下しているようです。
このままでは「学級崩壊」どころか、「国家崩壊」も起こりかねません。

日本の将来を本気で杞憂するなら、まず大人が改悟するべきです。
そして、試験の結果を基にして指導・・・などという消極的な手法ではなく、
次代を担う世代と密接に向かい合い、
高尚な道徳を伝える努力が肝要となるでしょう。

いつか日本が、誇りを持って暮らせる、
愛に満ち溢れた国になることを願って止みません。

2008年2月12日 (火)

個性を発揮する子供の教育についての考察

《『家庭を聖域にしてはいけない』様/親和充足によって親も育つ》
非常に興味深いお話でした。
つまり、優れた才能を秘めた人は、子供の頃から、
それが溢れ出ることを抑え切れないのでしょう。

小生、義務教育の必要性は理解できますが、
型に嵌まらない子供を「異常」と見做す風潮に疑問を感じます。

そもそも人間の素質は、一概に優劣を問えるほど単純ではありません。
縦一列に並べて順位をつけることも、
横一列に並べて順位をつけないことも、
どちらもナンセンスです。

小生は、宇宙空間に星が浮かんでいる状態を想像します。
そこに方向の概念は無く、ただ相対的な距離があるだけです。

大人たちは、宇宙の如く壮大な博愛の精神を以て、
子供たちを導き、そして見守ってあげるべきでしょう。

2007年12月 5日 (水)

怪物の称号を得た親たち

《なんで屋(東京)様/どうするモンスターペアレント?》
《るいネット様/モンスターペアレント、どうする?》
最近この言葉をよく見聞きするようになりました。
小生、人の親にも、教師にもなった経験はありませんが、
未経験なりの無責任な見解を述べさせて頂きますと・・・、

〈原因〉
彼等が生まれ育った時代は、経済が急成長していた頃です。
余裕のある家庭なら、欲しい物は何でも手に入ったでしょう。
人間は、物理面が豊かになると、精神面が貧しくなります。

〈傾向〉
彼等は、勢いに任せて我儘を並べ立てますが、
論理が全く立っていません。
“ハッタリ”をぶちかまして、相手が怯んだら、
その隙に付け入るのが常套手段です。
責任の所在を、まず他者に追及する傾向がありますが、
これはつまり、責任を負える程の精神的容量が無いということです。

〈対策〉
不条理な要求は、論理的な根拠を以って、断固拒否するべきです。
最初の攻撃を落ち着いて乗り切れば、
相手が“怪物”などではないことに気付きます。
日頃から情報収集とその共有に傾注し、自分の足元を固めておけば、
精神的優位を確保できます。

〈懸念〉
気懸かりなのは、こんな親が育てた子供たちのことです。
彼等が、親よりも優れた人格を形成するとは思えません。

親たちが、教育の責任を学校に転嫁するのならば、
教師は子供たちに道徳心を説いて、
そんな親が正しいのかどうか、
判断する能力を与えてあげるべきでしょう。

2007年11月12日 (月)

歴史教育についての考察

《『もなろ~ぐ』様/遣隋使の件》
「どんなに都合が悪くても、つねに真実が知りたい」のは、
小生も同感です。

知識というものは、小さな知識を得てから、
次々と連鎖的に欲するものであると、小生は認識しております。
与えられる情報が希薄であれば、その欲求は、
真実に達する遥か手前で止まってしまうでしょう。

先の教科書検定云々の騒動から察するに、
学校教育において、与えられる情報が“洗練”され過ぎているようです。
子供たちが「自国にとって不都合な事実など、一切存在しない。」
と信じ込んで、将来、さらに歪んだ歴史を創ってゆくとしたら、
恐ろしいことですね・・・。

否、すでに現在、真実を隠したまま、
歴史に記録されてしまいそうな事件が起こっていますな。

子供たちに教えるべき・・・と言いますか、
我々大人も学ぶべきことは、不都合を隠す技巧ではなく、
全てを一旦受け入れて、情報として処理して活かす、
いわゆる“清濁併せ呑む”能力でしょう。

2007年10月27日 (土)

学校教育についての考察

《ヨリモ『今月のひと』堀北真希様》
「成人してからも誰かに甘えている人」は、
いささか身につまされるお言葉でした・・・。

小生にも、社会に出てから知識を欲することが幾多ありました。
しかし職に就いてしまうと、時間の折り合いが難しくなりますし、
講習を受けに行ったりすると、何故かテキストを買う羽目になり、
それなりにお金が掛かります。

遊びたい盛りの子供達の耳に「将来を見据えて勉強しなさい」
という言葉は、なかなか届き難いでしょうが、
学ぶことに専念できる時間があることの有難さには、
是非とも気付いて欲しいものです。

「学校で学んだことなど社会で役に立たない」とは、よく耳にする論ですが、
逆に、“人生に必要な最小限のことだけ”を学ぶことなど、到底できません。
例えば、100学んだうちのたった1つしか役に立たなくても、
それを学ぶ価値は充分にあります。

学ぶことにおいて、無駄なことなど何一つ無いのです。
役に立つか立たないかは、その人次第と言えましょう。

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