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精神・思考

2009年10月19日 (月)

冗談と本気の使い分けについての考察

ある朝、職場に、同僚から「家族が死んでいるので、休暇を取りたい。」
という電話が掛かってきました。

「これは一大事!」と思い、上司に報告して、
誰が亡くなったのかを本人に問い質したところ、
「家族全員がインフルエンザに罹って、死んだような雰囲気である。」
という意味でした。

当場は「人騒がせな奴だ。」で済みましたが、
恐らく同時に、小生に対する「冗談が解らない奴」
という評価にも磨きが掛かったことでしょう。
しかし、この性格を改める気はありません。

対象的な例を挙げますと・・・、
あるお笑い芸人と離婚した女優さんが、テレビのトーク番組で、
「何でも笑い話で済まそうとするところが嫌になった」
と言っておられました。

冗談を真剣に受け取っても、恥をかくだけですが、
深刻を冗談にしてしまうと、信頼を失います。

小生は、目前の事象が本気か冗談か疑わしい場合は、
馬鹿を見ることが判っていても、前者を選択します。

2009年9月25日 (金)

NHKドラマスペシャル『白洲次郎/最終回:ラスプーチンの涙』

最終回も、興味深く拝見しました。

白洲殿は一見、粗暴な性格のようですが、
実はとても柔軟な思考力を備えていて、
それを自身で意識することなく、使いこなしていたように見受けます。

しかし、そのような性格であるが故に、
面倒事ばかりを押し付けられてしまったのでしょう。

アメリカ側からは、無理難題を突き付けられ、
日本側に戻れば、非難の言葉を浴びせられ・・・、
いわゆる“板挟み”の状態で、筋を通すことは容易ではなかったでしょう。

印象に残った台詞を以下に挙げてみます。
これはあくまでも演出であり、
本人が言ったかどうかは定かではありませんが・・・。

「俺は何者でもない・・・生まれる時も、死ぬときも。」

「俺は百姓の天才でも、政治の天才でもないが、
 自分にもできることがあると信じた。」

「俺は、俺自身の良心 -プリンシプル- に従って生きる。
 俺の幼稚な良心に逆らう者は、皆吹っ飛ばしてやる。」

「格好良い」ということは、格好悪いことも黙って引き受け、
何食わぬ顔で過ごしてしまうことなのでしょう。
小生も、大いに見習ってゆきたいと思います。

2009年7月 7日 (火)

理不尽な人と対峙する際の注意事項

先日、理不尽のお手本のような御仁に遭遇しました。
同様の件でお困りの方も多いと推察致しますので、
特徴と対応について、一筆認(したた)めておきます。

・理不尽氏は、勝てそうな相手を選んで喧嘩を売る。

 標的にされるということは、すなわち見下されているのです。
 まずは、このような人が、自分より優れていると思わない
 ことから始めましょう。

・理不尽氏は、論理的根拠に疎い。

 口を衝いて出る言葉は、勢いばかりで筋が通っていません。
 逐一対応せず、最後まで聞いてあげる余裕を身に付けましょう。

・理不尽氏は、案外臆病者である。

 “手の内”を出し尽くせば、途端に逃げ腰になります。
 断固中立の態度を示し、攻撃に効果が無いことを解らせましょう。

・理不尽氏は、自覚しない。

 自身はフツーにマトモだと思っており、自省とは無縁です。
 追い詰めると、“一番可哀想な被害者”に変身します。

理不尽氏に「真っ向勝負」を挑んでも、適正な結果は得られません。
況してや、理不尽を理不尽で返すような手段は、断じて推奨しません。

酸をアルカリで中和するようなイメージではなく、
大量の水で希釈,無害化してしまうように、
寛容な心境であれば、何も恐れることはありません。

2009年5月 3日 (日)

「友達は多いほうが良いのか?」という疑念

先日、テレビの某バラエティ番組にゲスト出演していた女優さんが、

「友達を大勢作ろうとは思わない」
「大勢で騒ぐことは好まない」

と発言していたのを聞き、甚く同感致しました。

「大勢の友達と楽しく過ごすこと」を是とするのは、
それより高尚な娯楽を知らない特定の人々の、偏った価値観でしょう。

小生は、快楽を共有したり、金品を授受するだけの間柄・・・
増してや、メールの返事を5分以内に要求するような人を、
「友達」と呼びたくはありません。

そもそも友達とは、意識して作るものではありませんし、
その人数の多さを競うものでもありません。

敢えて抽象的な表現を致しますと・・・
自分の生き様を貫いたとき、ふと気付くと、すぐ傍にいる人・・・
それが「本当の友達」でしょう。

2009年3月10日 (火)

NHKドラマスペシャル『白洲次郎/第二回:1945年のクリスマス』

小生、第一回にエキストラ出演していた縁もあって、
今回も興味深く拝観しました。

中でも、青山二郎に打ちのめされ、自棄になった正子に、
次郎が言った台詞が印象に残っています。

「他人の言葉を気にするな。」
「君は君のままでいい・・・そこに一番価値がある。」
「君にしかできないことが、きっとある。」
「君が必要だ。」

現代でも、彼女と同じ気分に苛まれている人が、
案外多くいらっしゃると推察します。

先の記事で「筋を通せば正しくなる」旨を述べましたが、
昨今、筋が通らずとも、強引な態度のみで、
他人を屈服させようとする人が増えているようです。

要は「ハッタリをぶちかまして、相手が怯んだら勝ち。」
という理論です。

小生も過去に、そのような“虚仮威し”に屈して、
軽度の鬱に陥った経験があります。
しかしある日「安易に他人を不快にさせる人が、
自分より優れているはずがない。」と覚醒し、
以降、筋の通らない言葉は、耳に入らなくなりました。

終盤では、次郎がマッカーサーを怒鳴りつける場面がありました。
これは、逸話として語り継がれていることであり、
真偽の程は定かではありませんが、彼ならやり兼ねないでしょう。

つまり、筋を通すことができれば、
相手が何者であれ、対等以上に渉り合えるのです。

取り敢えず小生は・・・、
上司が理不尽な発言をしたら、楯突いてみることにします。

2009年3月 5日 (木)

NHKドラマスペシャル『白洲次郎/第一回:カントリージェントルマンへの道』

僭越ながら小生、執事としてエキストラ出演しておりました
・・・が、顔が識別できるシーンはありませんでした。

残念な気分は扨置いて・・・、
大工のミヨシが、少年期の次郎に言った台詞が印象に残っています。

「正しいという字は、一つの処に止(とど)まると書く。」

これは、特定の事物に固執することではなく、
一定の状態であり続けるよう、努力すること・・・
要は「筋を通せ」という意味であると解釈します。

ドラマの背景は、まさに“激動の時代”でした。
その中で、ひとつの意志を貫くには、
相当の気概が必要となったでしょう。

彼の生き様を見ていると、
多少粗暴であっても、終始一貫して筋を通すことができれば、
それは「正しいもの」として認知されるように感じます。

現代は“激動”と呼ぶには、若干刺激に欠けますが、
あらゆる事物が、定まるところを知らずに揺蕩っており、
何が正しいのか、誰も判らなくなっています。
だからこそ、『白洲次郎』が注目され、
このようなドラマが製作されたのでしょう。

小生も彼を見習い、足元にも及ばないとしても、
「正しい」生き様を示せるよう、精進してゆく所存と致します。

2009年2月10日 (火)

芸術に親しみましょう

小生、職場の同僚と共通の趣味が無く、
「自分は社会に適応できない人間なのではないか?」
と悩んだ時期があります。

心無い上司から「君は趣味が無さそうだから、ゴルフをしろ。」
と言われて、困惑したこともあります。

しかしある日、いっそのこと、彼等とは
“違う方向”へ行ってみようと思い立ちました。

まず手始めに、元来興味のあったシュルレアリスムの
絵画を観るべく、美術館や博物館に足を向けました。

最初は、荘厳な雰囲気に気後れしましたが、
展示物の解説等を読んでいると、
案外、知識の吸収が心地良かったりします。

最近では、展覧会の情報を積極的に収集し、
分野を問わず、少しでも惹かれるものがあれば、
観に行くようにしています。

いつしか、同僚たちと話が合わないことへの焦燥感も無くなりました。
趣味が違っていることは、必ずしも劣っているとは限らないのです。
孔子の『論語』にも、芸術に親しむことを推奨する記述があります。

特にこれといった趣味が無く、同僚または学友と
「馴染めない」と感じている方がいらっしゃいましたら、
思い付く範囲で、最も高尚な趣味に手を出してみることをお勧めします。

現在の仲間とは疎遠になるかも知れませんが、
もっと相応しい仲間が見つかるかも知れません。

2008年10月22日 (水)

企業のメンタルヘルス対策についての考察

《Yahoo!ニュース様/メンタルヘルス対策 導入事業所いまだ33%》
《「うつ」な人ほど強くなれる/野口敬様》

小生も実感していますが・・・、
経済の滞塞等、様々な要因によって、
組織末端の個人への物理的,精神的負担は増す一方です。

企業としては、気付いていない,理解していないと云うより、
気付きたくない,理解したくない・・・と表現したほうが適切でしょう。

そもそも精神疾病の原因が、過酷な業務なのですから、
それを解消するということは、業務効率が落ちることを意味します。

何の感情も持たずに、黙々と、工作機械のように働き続ける者こそが、
手間の掛からない、歓迎すべき人材なのです。

長期入院されたり、悩み抜いた挙げ句に「辞職」という回答を
出されてしまっては、企業にとって損失となります。

よって、メンタルケアに真剣に取り組む企業が少ないことは、
至極当然でしょう。

しかし、精神に支障を来たすということは、
血の通った生き物として、むしろ正常な反応なのかも知れません。
少なくとも、工作機械ではないでしょう。

異状に気付いた、その自分の感性を信じて、
答えを探し続ければ良いのではないか・・・と思います。

“個人”を蔑ろにする企業に、何の義理がありましょうか?
小生、そのような企業は、淘汰されて然るべきであると確信しています。

2008年7月 3日 (木)

「言いたいことを言わなければ損なのか?」という疑念

《『afi style』様/見ざる聞かざる言わざる》

小生の身近にも、「言いたいことは、言わなければ損である。」
という論理の持ち主が何人かいらっしゃいますが、
彼等がそれを実行して、得をしたケースは見たことがありません。

「口は禍の門」とは、よく言ったもので・・・、
このようなネットの世界でも、感情の赴くままに発言した結果、
自らの立場を危うくする人は、跡を絶ちません。

すなわち「言う」行為に対して、損得の判定を誤っているのではなく、
ただ単に、我慢できないだけでしょう。

小生は何か発言する前に、必ず推敲する時間を設けます。
ブログへの記事なら、最低でも一晩は“寝かせ”ます。
翌朝起きたとき、内容の矛盾や不備に気付くこともあります。

「言いたいことを言う」のは、
刃物に例えるなら、石斧で力任せに叩き切るようなものです。
切り口は美しくありませんし、目的外のものを傷つけます。
少し時間を掛けて、その“刃物”を研ぎ澄ませれば、
必要な処に、鋭く切り込めるようになります。

言葉は“凶器”になり得ることを、常に意識しておきたいものです。

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2008年5月14日 (水)

「休日を独りで過ごす奴は寂しいのか?」という疑念

《『afi style』様/ひとりの時間を作る》

小生も若年の頃、
「休日は、友人と連れ立って外出し、楽しく過ごすものである。」
と思い込んでいましたが、
年を経るにつれ、それが軽薄な思想であることに気付きました。

自分では「趣味」だと思っていても、
それの実行に苦難が伴うのであれば、そもそも向いていないのです。

また、“背伸び”をしないと交際が持続できないような人は、
仲間(およびパートナー)として、相応しくありません。

自分に不釣合なモノに固執していると、次第に自分らしさを失い、
やがてそれに振り回されるようになります。

小生は「何か気に入らない」と感じたら、
その人とは、以降なるべく関わらないようにしています。
対象が物品ならば、早期に手放します。

その結果、独りになっても構いません。

信念を貫くその気概が、個性として輝きを放ち、
もっと相応しい“誰か”を引き寄せると確信しています。

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